■1 深川木場 深川木場 富岡八幡に参拝し、隣の三十三間堂を見る。参道は東側にあり、後ろを振り返ると三十間川の茫洋とした流れに材木を組んだ筏。川並(材木職人)が竿を立て、器用に操っている。これを渡ると左右は島。深川島田町。入り船橋を潜る。目の前に美しい島が寄せ集まったような感じの広大な木場が展開する。 今度は、大川から油堀に入る。そのまま東に直進。やがて広大な永代寺に出る。右側に永代寺や富ヶ岡八幡の社が見える。そして永居橋を潜ると三十間川。突っ切って行くといつの間にか木場に突入している。 さらに大川から仙台堀に入る。東に向かう。海辺橋、亀久橋を潜り、要橋に。すると右側全部が深川木場である。このように全ての河川が材木運搬路であることを実感する。 いくつかの大火を経て、元禄十四年(一七〇一)幕府は材木置き場を永代島の隣に移すことを決断。九万坪に多数の島を浮かべ、しかも全体を鳥瞰するときっちりとした縦長方形の区画を造る。見事な設計思想が伺える。 広重の絵を見てみよう。雪降りしきる深川木場である。雪を被った木々が立ち、水に浮かぶ無数の材木。簑を被った職人、川並がその上に乗り、作業。小島には、これまた無数の材木が立てかけられており、広重は絵の左、前面にこれを強調している。小島と小島を結ぶ橋が遠くに見え、空には野鳥が飛ぶ。広重は木場のどこを描いたのか分からぬが、いたるところ、このような光景であり木場を象徴している。 ■2 広重:深川木場:雪景色 ■3 広重:絵本江戸土産:深川木場 雪旦の深川木場絵図は、これを鳥瞰的に捉え、全体の雰囲気が手に取るように分かる。絵の下半分の小島には松の大木が並び、川柳が聳え、豪壮な家宅が並ぶ。座敷に人が集まり商談だろうか、辺りの広々とした水と木々の何とも言えぬ、のどかで開放感のある景色を愛でているのであろうか、正に水の観光地の感。この小島にも材木が積み重ねられていたり、原始時代の家の形に組み立っていたり、横倒しに置かれている。豪商の別荘の感。小島の周囲には土留め柵が巡らされている。その上の流れには、材木筏を操って運ぶ川並の姿。作業する際の掛け声が木遣り歌。観光船とおぼしき舟。小舟を繰り出し釣り糸をたれている者の姿が見られ、頭上には野鳥が飛び交かっている。向かいの小島は家が八軒寄り添っている。小島と小島の間はアーチ型の橋が架かっており、人々が渡っている。絵の下には、材木に乗り長い棒の先に刃物がついた鳶口を巧みに操っている川並(かわなみ。筏師の事)。彼らの木遣りの声が聞こえるようだ。木場は、こうした専門職や角乗り曲芸という見世物を創出した。絵では、筏師の向かいに、筏の先端部に立って、暢気に釣を楽しんでいる者が数名、長い釣り竿を肩担いで橋を渡っている者等が描かれており、どうやら木場は有力な釣り場だったようだ。 中央右の小島には馬場のような広い道があり人々が散策している。天秤棒を担いだ、「ぼてふり」らしき姿もあちこちに見かける。風光明媚な、水の都といったこの感じは、殺風景な材木置き場という予想を完全に覆すものである。絵本「江戸土産」には、「この辺り、材木屋の園、多きにより名を木場という。この園中、おのおの山水の眺めありて、風流の地と称せり」と書かれている。 江戸で使われる材木のほぼ全てを木場の材木問屋の組合が管理することになり、巨万の富を築く材木商が出現する。紀伊国屋文左衛門、奈良屋茂左右衛門が代表格。彼ら豪商が、莫大な金をつぎ込んで永代寺門前町の料亭で接待するので、深川花柳界の隆盛をもたらした。紀伊国屋文左衛門は、深川木場に別荘のような豪邸を構えており、その一方で、富ヶ丘八幡宮に大御輿を寄進したり、永代橋造営にも貢献している。豪快な人物である。かくて、材木商は、呉服商、両替商と並ぶ江戸の花形商人となり、その象徴が深川木場である。 ■4 雪旦:深川木場:鳥瞰図 州崎弁財天社 木場の南底を流れているのが、大島川の延長、平野川。そこに架かっているのが江島橋。渡ると州崎弁財天社。木戸門を潜る。料理屋の前を通り、左に見る、鳥居を潜ると立派な社が建っている。五代将軍綱吉の母、桂昌院が江戸城、紅葉山の弁財天を遷座して創建。深川州崎十万坪の東端にあり、大勢の参拝客がこの土手道を歩いて柵門(正門)に入る。両側に立派な料理屋。正面に鳥居と本堂。右手の広場には、長い葦簀張りの茶屋。参拝客はここに座って目の前の海を眺める。絶景。富士山、遠くに三浦半島。目の前に押し寄せる波。夜ともなれば月見の名所。夏は潮干狩り。都鳥が飛び交い、野鳥の宝庫。無論、魚釣りのメッカ。文人墨客の集まるところ。江戸っ子はこぞって州崎弁天を訪れた。 ■5 雪旦:江戸名所図会 州崎弁財天社:押し寄せる波、左下、州崎を通り、弁天社にぞくぞく参詣客。左上、木場、平野川、江島橋を渡って弁天社に。茶店や料理屋があり、江戸庶民憩いの場所。 深川木場を過ぎると周囲の環境はがらりと変わってくる。中川に至まで新田、田や畑一色。木場周辺の三十間川や十間川等からの細流が広大な田畑を縦横に走り、中川まで続く。地名も深川から葛飾へと変わる。