■1 中川上流 中川(2)上流に向かって 滔々と流れる中川の右側に平井の渡し場と平井聖天、その手前諏訪社の鳥居が見える。ここから中川は左に蛇行。左一帯は葛西川村の田が広がり、川沿いに白髭社。この辺り、至る所に用水路が巡らされ、貯水池が点在している。今では想像もつかない自然豊富な田園風景である。中川はここから人の頭の形に添って大きく曲がりくねる。この頭に相当する部分には中平井村の田園が広がっている。豊かな穀倉地帯なのである。今度は下木下川村を巻いて北上。右手は、上平井村の田圃。ここで左を見ると、綾瀬川が流れ込んでくる。北から流れてきた綾瀬川は江戸後期、小菅村の所で二つに分かれ一つは鐘淵で大川へ、本流は堀切村を通り南下、中川に流れ込んでいる。 流れは右に曲がり再び北に登る。すると左側に南蔵院が見えてくる。真言宗南蔵院。辺り一帯は立石村。江戸っ子は立石南蔵院と呼んで親しんだ。これは恐らく、大川端、源森川から横川に入る、業平橋沿いにある、大岡裁き、縛られ地蔵で有名な南蔵院と区別して呼んだものであろう。こちらの南蔵院は後方にある熊野神社の別当寺。熊野神社は立石村の鎮守で歴史は古く、全国にある熊野信仰の一つとして千年頃に建てられた。その別当寺である。長谷川雪旦は江戸名所図会でこの辺りの風景をリアルに描いている。その風景の中心はなんと言っても滔々と流れる中川である。大きくくねって北に流れを変える中川。川沿いの土手道から田の中を参道があり、簡素な門を潜ると南蔵院。その背後に同じように田を縫う参道。小さな茅葺き門を潜ると瀟洒な熊野社がある。広々とした自然の姿。参道の両端には木々が立ち並び、道標になっている。ここで中川は大きく左に曲がり北へと向かっていく。絵を見ると、この流れの変化が手に取るように分かる。土手道を参詣人が歩いている。中川の滔々たる流れを楽しみながら。風光明媚な立石村は一時、将軍家の鷹狩りの指定場所でもあった。 ■2 江戸名所図会:「立石南蔵院、熊野社」:絵の下を流れる中川は、ここで大きく北へと蛇行 新宿の渡し 中川は、立石南蔵院の角を渦巻くように蛇行し、青砥からは北に向けて一直線。亀有近くまで行くと新宿の渡し場が見えてくる。日本橋から水戸街道を歩いてきた旅人はここで渡し船に乗り、対岸へ。降りるとそこは新宿。上宿、中宿、下宿と宿場は箱形に並び水戸街道はその中を東西一直線。江戸川まで行く。すると、江戸川沿いには寅さんで有名な柴又がある。その先は松戸だ。新宿の渡し場。大方の旅人は千住宿で一泊し、千住大橋越えで荒川を渡り、東へ一直線。亀有経由でここに着く。広重はこの渡し場を見事に描いている。二階建ての待合所があり、段々を降りると川縁に出る。そこには大きな待合船が待機している。高い松の木が林立。これは防風とともに旅人の目印。のどかに流れる中川には江戸に向けて荷を運ぶ帆掛け船が一艘、二艘。船頭が漕ぐ小舟も見える。待合所で寛ぐ者。渡し場に降りていく者。あちこちで釣り糸を垂らしている姿も見える。対岸への渡し船は定期的に出ている。ここでは船賃は取らない。無料。待合所から眺める景色は絶景。中川の先には原野が広がり、遙か先には日光連山が見える。対岸の新宿の屋根が見えている。ここは釣りの名所でもあり、鯉、鱸、鯰、鮒などが釣れた。 ■3 広重江戸名所百景「にいじゅくの渡し」 新宿 新宿は文字通り新しくできた宿場の意味。規模も小さいが旅人は千住から、ここまで歩いて来て一泊。宿場の先には、水戸街道から分かれる佐倉街道があり、通行人も多く、休憩所としての利用客も多かった。特に参勤交代の大名行列は、千住から松戸まで一気に行くケースが多く、その場合には、ここでは休憩をとる。水戸街道と佐倉街道の交差付近には、大きな茶店が軒を並べている。藤屋、中川屋、亀屋。とはいえ、新宿は簡素な宿で、雪旦は名所図会「新宿渡し口」で対岸の新宿の様子を垣間見れるように描いている。この絵のキャプションで松戸街道とか中川の鮮魚は美味と書かれている。松戸街道とは松戸から江戸湾に近い市川まで約一里の街道。通称、鮮魚街道のこと。 ■4 江戸名所図会:「新宿渡し口」:絵の上部に新宿の様子が描かれている。 新宿の渡しを過ぎて中川を北にちょっと行くと右側は飯塚村。ここに夕顔観音堂がある(今はない)。身の丈五寸の観世音金像が祭られている。瀟洒な観音堂の前は畑で百姓が懸命に働いている姿、絵の左上に滔々と流れる中川。当時の自然田園風景が描かれている。 ■5 江戸名所図会:「夕顔観音堂」:絵の左上に中川の姿。 さらに中川を北上。すると今の埼玉県八潮市、三郷市。江戸川と結ぶ形で水元公園があるが、この辺りから中川は古利根川と江戸時代呼ばれるようになる(今は中川で統一)。広大な水元公園はもともと江戸湾に下る利根川の河川敷であった。家光は利根川の東遷後、この河川敷を埋め立てる。そして近代になって水郷公園化されたわけである。 利根川に向かって北上 このあと、中川は利根川本流に向かって北上を続ける。利根川に近づくに連れ、大落古利根川を始め、幾つもの河川が合流。今日では中川で通っているが利根川本流の側にある羽生市辺りが中川の水源となっている。江戸期では利根川東遷工事とともに複雑な川の付け替え工事が成されてきたのであろう。昔は皆利根川の分流であったのである。