■1 江戸川(利根川) 行徳から市川へ 江戸川(利根川) (2)行徳から市川へ 行徳河岸を右に見て江戸川を北上。すると右岸に常夜灯が立っている。これは運行の舟に位置を知らせる常夜灯である(現在も残っている)。この辺りから行徳の寺町が始まる。「行徳は戸数千軒、寺百軒」。その位、寺が多かった。常夜灯を右に行くとすぐ行徳街道にぶつかる。この街道の東側から北に向かって寺町が広がる。本行徳八幡、本久寺、浄閑寺、圓頓寺、妙覚寺、法善寺、法泉寺、常運寺、長松寺等。そして徳願寺に着く。一際、広大な寺域を持つ、この寺は、家康の帰依を受け、秀忠から運慶作の阿弥陀如来像(本尊)を、家光から朱印を与えられた名刹。寺町を代表する浄土宗の寺であった。この寺は又、剣豪宮本武蔵が逗留し、近くで養子、伊織と巡り会った処と伝えられ、寺内に武蔵の供養塔が建てられている。雪旦はこの辺りの風景を克明に描いている。寺町通りから参道に入ると中規模だが堂々とした山門があり、潜って参道を進むと、右に鐘楼、左に閻魔堂があり、正面に本堂がある。ここに運慶作と伝えられる本尊阿弥陀如来像が鎮座。そして本堂の右側に長廊下があり、方丈に繋がっている。寺域の周囲は立木で仕切られ、霊場の雰囲気を醸している。寺域正面の道を「寺町通り」と言い、大勢の人が行き交っている。 この道を左方向、すなわち江戸川に向かって歩く。隣の妙応寺を越すと、すぐ左に入る道。これが「権現道」である。家康が鷹狩りに来たとき通った道を記念して処の人はこう呼んだ。これをやり過ごして寺町通りを直進すると、すぐ江戸川沿いに、平行に走る行徳街道にぶつかる。ここはもう、馬に乗る人、籠に乗る人、大勢の人々が行き交っている。街道の両側には家宅が並ぶ。行徳の繁栄を象徴する主道である。これを突っ切ると、江戸川沿いにある大徳寺が見えてくる。雪旦の絵はここまでだが、その後ろに江戸川が滔々と流れているのである。しかし、この辺りの、寺町の風景を見事に描写している。 ■2 江戸名所図会:雪旦:「行徳徳願寺」:右、徳願寺、その前、寺町通り、左、行徳街道 市川宿、佐倉街道 江戸川(利根川)は篠崎を過ぎると縦に蛇行しながら進む。多くの運搬船がひっきりなしに航行している。左を見ると篠崎街道が川に沿って北へ。やがて右側、行徳から市川村に入る。すると佐倉街道(現、千葉街道)にぶつかる。江戸時代は無論、橋は無く、渡し船。対岸の小岩と市川の双方に関所があり、荷物検査ばかりか、「入り鉄砲に出女」のチェックが行われる。なにしろ、江戸と下総のいわば国境であったから検査は厳重である。とはいえ、江戸後期には、成田山新勝寺詣での客で賑わったから、随分と手早く検査が行われた。小岩から渡し船に乗り、利根川を突っ切ると、市川宿。渡ると右側に関所。そこから道の両側にずらりと宿が並ぶ。当時は四十〜五十軒の宿があったという。この佐倉街道を東へ直進すると、やがて佐倉に着く。佐倉は歴代江戸幕府の重臣が治め、幕末は老中、堀田備前守。幕府の分割統治区のようなもの。佐倉城は格式高く、威厳を持っていた。相撲の雷電為衛門も晩年、佐倉に住む。佐倉からさらに東へ。すると、成田山新勝寺に着く。従って佐倉街道は別名、成田街道と言われていた。 雪旦は江戸名所図会に市川宿と渡しの場を克明に描いている。絵の下に利根川(江戸川)が滔々と流れている。左に小岩の関所と舟乗り場。渡し船が対岸の市川宿に向かっている。利根川には荷船が運航している。市川の船着き場には柵が巡らされ、右側に関所があるようだ。そして、佐倉街道の両側に宿や料理屋が密集している。市川宿の繁栄ぶりが目に見えるようである。絵の中央は雲で仕切られ、その先に田園の中を蛇行し、江戸川に注ぐ川が描かれている。これが真間川である。そこは根本村。根本橋が架かっている。利根川(江戸川)沿いに迫り上がっていく丘の道がある。その頂点が鴻之台(国府台)である。 ■3 雪旦:江戸名所図会:「市川渡し口、根本橋、利根川」の図:渡し、市川宿、真間川、左上に鴻之台が描かれている。 真間の継ぎ橋 江戸川から真間川をちょっと内陸に入った処の絶景を描写した有名な絵が広重の「真間の紅葉、手古那の社、継ぎ橋」である。江戸期、真間川のこの辺り一帯は蘆や茅が生えた砂州。砂州と砂州の間に川が流れており、そこに架かる橋を「継ぎ橋」といった。絶景である。それを紅葉で有名な弘法寺の境内から見下ろした図がこれである。弘法寺の歴史は古く、行基に始まり、天台宗から鎌倉時代日蓮宗に。家康は三十石を与え、光圀は茶室に号を与えた。格式の高い寺社で紅葉の名所であった。川の周辺に茅葺き屋根の民家が建ち、木々と田園、水の青さが溶け合う見事な自然風景。手古那の社は、絵の下左にある小さな社で昔、手古那という名の美しい女性が男に言い寄られてここに身を投げたという伝説があり、彼女を弔う社である。遠くに見える山は筑波山。となると、弘法寺の位置が異なる。弘法寺は真間川の北に在りその正面の景色は行徳、江戸湾の方だ。しかし、弘法寺の紅葉を強調し、真間の州を眼下に見下ろし、正面遠方に筑波の山々を配置する、広重一流の構図で、当時の景色を見事に表現したわけである。 さて真間川に架かる根本橋を渡って、江戸川(利根川)沿いに丘を登って行こう。丘道の左眼下には利根川が悠々と蛇行している。そしてこの丘陵の頂点が鴻之台(国府台)である。 ■4 広重:真間の紅葉、手古那の社、継ぎ橋 【参考資料】 角川書店「江戸名所図会」 国会図書館:広重「名所江戸百景」