ロドリゴ江戸へ行く 大多喜から江戸までの距離は約六十キロ。長丁場である。ロドリゴは大多喜の殿、本多忠朝から譲り受けた馬に跨がる。忠朝と彼の有力な家臣の温かな見送りを受けて、江戸へと旅立つ。ロドリゴ、部下のアントン、難破船に同乗していた日本人の通訳。忠朝の家来が先導役に立っている。また各馬の手綱も家来が曳いている。至れり尽くせり。江戸の将軍秀忠との謁見に向かう。ロドリゴの胸には、御宿での悲惨な遭難からこの日の出来事が去来する。何という幸運。これは夢か。領主本多忠朝の励ましの声を受け、城下町通りを出発。沿道には、大勢のスペイン人、大多喜の家臣、町民が総出で見送っている。左に、四つ門通りを見て、大多喜街道を北上。 ここで、ロドリゴ一行の江戸までの行路を類推してみる。まず、大多喜街道をまっすぐ北上。相当の距離があるが、やがて伊南房州通街道と交差。この街道を左に曲がる。この古街道は、房総の太平洋側をなめ、ほぼ中央から江戸湾の方向に転じている。江戸湾に近づくと、今度は湾沿いに半島の西側を嘗める房州往還道に出る。この道は江戸湾をぐるりと廻っている。やがて枝分かれした道が利根川河口(江戸川)行徳に繋がる。本行徳から利根川を渡る。そして新川へ。すると今度は中川に出る。ここから小名木川を通り隅田川へ。新川も小名木川も、江戸湾沿いに家康が最初に開発した運河。豊かな房総の実りを江戸に運ぶ。特に行徳の塩田は有名であった。小名木川の両岸には、柳や松が植えられ、ロドリゴはこの優雅な自然美を堪能したと思われる。そして大川(隅田川)から江戸の中心街に入る。恐らく、日本橋川を行ったと思われる。ロドリゴは、船上から見る、江戸橋、日本橋あたりの、活気に満ちた江戸の家並みに目を見張った事であろう。江戸城の大天守が見える。 ロドリゴは、江戸に入るまでの道中、「どこへ行ってもイスパニア国王の使者として優遇され、大切に持てなされ、歓迎された」と記している。彼は、村の広さと人々が多いことに驚き、歓迎されている。しかし、江戸の中核に入ってからの歓迎振りには、声を呑む。到着すると、まず格の高い、大勢の武士が彼等を出迎えたのである。 ■図1 ロドリゴ江戸への想像ルート 江戸の開発 ここで、ロドリゴが目にした一六一〇年の江戸を彷彿とさせるために、家康の大開発の流れを簡単に記述したい。家康の江戸入府は、一五九〇年。当時の江戸は粗末な湾沿いに開けた、いわば自然優美な原野であった。幾つもの大河が湾に注ぎ、州を形成していた。 ■図2 家康入府当時の江戸地勢 家康の構想は、全国から人々を集め、一大城郭都市を造ることにあった。それには、食の確保が重要。そこで、まず、とてつもなく豊かな房総の農産物を運ぶ運河の建設に着手する。小名木川、新川。すぐ傍まで湾の波が押し寄せている。同時に、南北に江戸湾に注ぐ平川、隅田川、中川、利根川(江戸川)の一級河川の洪水を防ぐ、多数の運河の掘削に着手。江戸城近くの平川の流れを変え、道三堀、日本橋川を造る。 次に、江戸を囲む、神田山、四谷紅葉山、霞ヶ関といった台地を削り、一大埋め立て工事に着手。日比谷入り江(海)を埋め立て、江戸前島(東京駅から新橋に至る島)と繋げ、家臣、町民が住む、広大な平地を造成。そして順次、江戸湾の埋め立てを進めて行った。全国から人が集まり、江戸っ子になっていく。 そして大きな町の建設が始まる。広大な江戸城郭の周囲には、武士の館。その外側に向かって、職人、商家、農家の順に、各集団地帯を配置。特色ある町を形成していく。ロドリゴも驚き、感心した、染め物屋集団の神田紺屋町、鍛冶屋集団の鍛冶町、材木屋が集まる材木町といった具合。漁網技術の高い三河の漁民を佃島に移住させ、海川の幸を購う。 その上で、江戸城郭の建設が始まる。これが世に言う天下普請。有力大名が分担し、構築していく。広大な地域に外堀、内堀、内内堀(江戸城の周囲)を造り、有力大名の順に城に近いところから配置。豪華な門構えと館が立ち並ぶ。 本格的な天下普請は、一六〇六年から始まり、家康、二代秀忠、三代家光へと五十年継続。第一次天下普請は一六〇六〜一六〇七年で、一六〇六年には、江戸城本丸御殿、二の丸、三の丸の築造が始まり、一六〇七年、天を突くような、高さ六十五・五メートルの、五層大天守閣が完成。 江戸の町 ロドリゴが江戸を訪れた一六一〇年には、江戸の町のどこからでも、この大天守閣が拝めたのである。ロドリゴは、その偉容に目を見張る。江戸にいた八日間の間に、方々の町を案内されたようだ。彼の見聞録を紐解く。「整然と区画された江戸の町、道幅は広く、長く、まっすぐに伸びていて、イスパニアの市街より優れている。しかも街路は清潔で、誰も歩いたことがないように見えるほどだ」。他に、「町の中央まで豊かな川が流れていて、それがまた分岐して運河になり、食料をどこへでも船で運べるので食料の値段も安い」。「行政が隅々まで行き届いており、古代ローマの政治と競えるほどだ」。「家の外観は見劣りするが、内部の美しさは我が国よりはるかに素晴らしい」。 「町には門(木戸)があり、職業によって区画整理されており、ある職業地区には、他の職業の人は住んでいない。町ごとに靴工(履物職人)あり、鉄工(鍛冶屋)あり、縫い工(仕立て屋)あり、商家あり・・・です」。「商家も同じく銀商で一区画、金商、絹商と別々に住み分け、雑居していることはない」。「江戸の町は海に面しているので海産物に恵まれている」。「特に、魚市場(日本橋魚河岸)という一区画があるそうなので案内して頂いたが、ここには海と川の実に豊富な鮮魚、干魚が蓮台に並べられ、魚売り、町民、武士で賑わっている。また、見たこともない大きな生け簀があり、満々と水が張られ、生魚が売られている」。「青物、果物商もそれぞれ区画があり、豊富な種類が大量に置いてあり、清潔できちんと陳列され、買う気持ちをそそられる。果物は世界中でも最良の味といえる」。「馬の売買を専門とする馬喰町もあって、馬の数が多いので迷ってしまうほどだ」。「宿屋だけの旅籠街は幾つもある」。「遊女のいる場所は、常にまちはずれ」。 ■図3 江戸城御堀外観図 江戸城で将軍と会見 江戸に着いたその日の夕刻に、ロドリゴ一行は、将軍が指定した宿に落ち着く。そこでも「大勢の町民が出迎えてくれ、広い町の通りも群衆で一杯。交通整理の人達がでるほどだった」と記す。「私たちの評判は、町中に広がっており、家来や町民まで宿に訪ねてくるので、将軍の側近に頼み、宿の門に衛兵を立ててもらい、私の許可を得ない者は入れないという札を掲げてもらうほどでした」。 宿について二日後、将軍からの使いが二度も来てくれ、「我が手に接吻するを得べし(謁見する)」と伝えてくる。その日の夕刻、ロドリゴ達は、江戸城に向かう。 江戸城へ ロドリゴの眼前に城壁が聳えている。滔々と流れる大手堀を渡る。すると絢爛豪華な大手御門。その堅固さ。厚い門が開かれ、中に入る。そこには銃を持った千人もの侍が二列に並んでいる。しばらく歩くとまた堀があり(内内堀)橋を渡ると下乗御門(大名もここで馬を下りる)。潜って、中に入ると、槍を手にした約四百人の武士。左手の百人番所の前を通る。周囲の城壁は一段と高く聳えている。最後の門を潜ると、約三百人の槍や刀を携えた武士の一団を見る。「武士達はそれぞれの持ち場で忠実に任務しており、遊びがない」。そしていよいよ大広間に入る。ロドリゴは「江戸城の建造物と武士の数、その強大な様子はとても言葉に表現できない」と記している。 ■図4 江戸城中枢部 「参考文献」 ドン・ロドリゴの「日本見聞録」安藤 操 意訳、解説 たにぐち書店