秀忠と会見 ロドリゴ一行は、大広間に案内される。五百畳の広さ。大広間といっても二之間、三之間、四之間と続く。畳、豪華な襖絵、天井の装飾。あまりの美しさに驚嘆する。奥の間、一段と高い所に将軍秀忠が待ち受けていた。「帽子を被っていても良い。まずは、こうして、お目にかかれたことを喜びとするが、貴殿らの御宿遭難での悲惨さ、こうむった悲しみを思うと胸が痛む」。 ロドリゴは、その威厳に満ちた端正な顔立ち、立ち振る舞いに、身体も大きく見えるオーラを感じる。精一杯の力を込めて、感謝の意を伝える。将軍は、航海の模様や帆船のことなど次々に質問。ロドリゴは、ありのままを丁寧に答える。そして、助けてもらった御宿の人々、大多喜の殿への感謝も述べた。 徳川二代将軍秀忠は、父家康の言いつけを守った素直だっただけの人と評価する向きもあるが、この人がしっかりしていたからこそ、十五代の長期に渡り、政権を持続できたと思う。そのことは、徳川家菩提寺、増上寺に於ける、江戸時代の秀忠廟の大きさ、豪華さ、存在感、それに別格の扱いに見て取れる。戦災で焼け落ちた将軍廟。もし残されていたら間違いなく国宝である。戦後改葬。「秀忠の骨は他の将軍とは異なり、がっしりと逞しく、武将の面影を残している」と担当した、東大人類学の権威、鈴木尚教授は記している。まだ、固まらぬ世を、家康の構想をしっかりと踏襲し、地盤を固めた。これは容易ならざることである。 ロドリゴの胸には、今や、何の懸念もない。「大御所、家康様にご挨拶したいと存じます。そのこと、御認可頂きたく存じます」。すると秀忠は、「道中、あなたの身分に相応しい接待をしたい。その準備も含めて後日連絡するので数日お待ち下さい」。ロドリゴ一行は、晴れ晴れとした思いを抱き、宿に帰った。 将軍との会見から四日経ち、ロドリゴは強烈な印象を持った江戸に別れを告げ、駿河に向けて出発する。物々しい警護。幾つもの堅固で美しい御堀に感嘆し、東海道を行く。馬上、右手に広大な増上寺の山と社を見、これが将軍家の菩提寺であるとの説明を受ける。寺域は酉蓮社で切れ、美しい赤羽川の景観を楽しむ。高輪の大木戸を潜ると街道は海沿いを辿る。穏やかな波が押し寄せ、青の中、多数の白い帆掛け船が映える。 東海道 東海道の歴史は古く、遠く古く奈良の律令時代に遡る。家康は一六〇一年から五街道整備を実施。日本橋を起点とし、京都三条大橋に至る五十三の宿駅と、箱根と新居に関所を設置。一六〇三年には、東海道松並木や一里塚を整備する。したがって、ロドリゴが歩んだ一六一〇年にはこれらが整備されていた。ロドリゴは記す。「道の両側には松並木があり、心地よい日影を造っている。また里数を訪ねる必要はない。一レグアごとに小山を築き二本の樹木が植えられている。距離は正確に知れる」。「道中、無住の地はほとんどなく、絶えず、通行する人々に会う」。 江戸から最初の宿は品川。海には大きな帆掛け船が漂い、漁をしている。当時すでに江戸有数の漁場で、海苔は特に有名。海岸縁に宿が立ち並び、街道の右側はせり立った崖、八つ山。本陣もあり、ロドリゴはここに泊まったのかもしれない。川崎で多摩川の渡しに乗り、四番目の神奈川宿を越え、保土ヶ谷、戸塚、藤沢宿へ。広い田園の中を松が並ぶ街道を通って平塚宿。所々に民家が密集している。そして酒匂川を渡って小田原宿。北条氏は滅びたとは言え、格段ににぎやかな城下町。ついに箱根の難所にかかる。特に畑宿を過ぎた後の険しい坂道。やがて道は芦ノ湖に向かって下る。箱根関所を通り、三島。富士山が眼前に聳え、ロドリゴを圧倒する。眼下に広がる海と富士のすばらしい景観、由井。こうして府中宿(静岡駅近く)についに辿り着く。 ロドリゴは五日間の旅だったと記す。「将軍の命令もあり、行く先々でとても歓迎され、手厚いもてなしを受けた」。「私はふるさとを捨ててこの日本の地を選びたいほどです」。 駿府 ■駿府 駿府の城下町は安部川に向かって展開している。天正十四年(一五八六)、三河から信濃までを支配することになった家康は、駿府を拠点とし、駿府城の構築にかかる。その完成間近、秀吉による北条征伐の命令。戦が終わると、すぐに、家康は関東江戸に移封される。ただちに家康は江戸の大構築に着手する。恐ろしいほどの決断の早さ、構想力、実行力である。そして一六〇〇年、関ヶ原の戦いに勝利すると、再び、駿府城、城下町の本格的な建設に着手。まず多岐に別れて流れていた安部川を一本化する土木工事。そこから東に向かって商、工、士の順に区画配備。碁盤の目さながらの区画城下町を造る。農民はその周囲に配備。近世の町作りがこの時、初めて行われる。その後、長きにわたり続く江戸の町作りにこの経験が活かされる。南の海縁を走る東海道をフル活用した設計。駿府城下町は自然を巧みに取り入れた都市建設の最高傑作と評価されている。上方から江戸に向かって歩く旅人は、大井川、安部川を渡り、城下町に出る。西に対処する設計。旅人の目には、霊峰富士の偉容と、絢爛豪華な駿府城天守が燦然と輝く。駿府城は一六〇七年に完成。直後、火災に見舞われ、焼失したが、翌一六〇八年、再度、天守、御殿が造営された。したがって、ロドリゴが見た駿府城は、この時のものである。この天守も三十年後、またしても焼失しているので、ロドリゴの見聞録は貴重である。(二〇一四年九月、駿府城天守閣復元宣言) 大御所家康に謁見 「府中宿を過ぎて、安部川近くの大手門まで来ると、大御所の家臣が迎えに来て、宿まで案内してくれた。市中に入ると群衆が寄ってきて大騒ぎ。駿府の人口は約十二万人。当時のロンドンの人口が約六万人というから、駿府は大都市である。斜め後方に富士が聳え、城郭に近づくと天守の威厳が大きくなる。見事な演出。規模は江戸には及ばないが美しい町並み。宿に着くと、大御所家康は、身分の高い人達が着る、豪華な十二枚の着物を届けてくれた」。持参した書記官は、「大御所はあなたの来訪をとても喜び、道中を心配。この着物を着て休養するように」とのこと。至れり尽くせりである。ロドリゴ達は六日間、宿に泊まり疲れをほぐした。この間も果物や菓子が送られてきた。書記官がやってきて「大御所との謁見はいつにしますか?」。ロドリゴは恐縮して、「それは大御所様次第です」。すると、「明日二時ではどうでしょうか。家来を数人使わせます」。城の第一門(大手門)に着く。これを含めて三つの堅固な門を潜る。警護の武士の数は江戸城に劣らない。控えの間に入る。書記官は、ロドリゴを上座に着かせ、しばし歓談。「大御所様は、あなた方を十分におもてなしするように望んでいます」。ロドリゴは応える。「私は、スペインのドン・フィリペ王からフィリピン諸島の統治を任され、その報告をせんと帰国の途中、暴風に会い、御宿で遭難しました。板切れにつかまってようやく浜につきましたが、ここが日本と知り、慈悲深い大王の統治せる処と大きな喜びに変わりました。助かったものの裸同然で、あるのは命だけでした。御宿の人々、大多喜の殿、そして江戸の将軍、さらに大御所の格別の恩恵を受け、生き残った者全て、感謝しております」。「私も大御所様のご厚意には感謝するばかりです。私の君主ドン・フィリッペ王は、世界で最も強大な権力を持っています。この上は、王と信頼、友好関係を結んで頂きたいのです」。それから半時間あまり、隣の二部屋の調度品などを拝見。見事というしかない美しさ。書記官は戻ってきて、「大御所様がお待ちです」。大御所の部屋は、美しく、精巧に造られており、ロドリゴは声も出ない。部屋の中央から階段があり、登ると黄金の綱。格子戸に沿っていくと大御所の近くに出る。重臣二十名ほどが跪いている。大御所はビロードの椅子に座っている。そしてロドリゴ達のために同じ椅子が用意されていた。大御所は六十歳くらいの中背の老人だが、威厳のある快活な容貌。沢山の星と半月を刺繍した青光沢の着物を着ており、腰には剣を身につけている。大御所は手を挙げ、席に着くように合図。脱いでいた帽子を被っていて良いと云う。 「貴殿らの遭難の不幸と苦労には心が痛む。しかし、この国に来たからには、大いに楽しみ元気になりなさい。ドン・フィリッペ王に代わって、私が面倒見ましょう。欲しいものは何なりとお申し付けください。必ず与えましょう」。ロドリゴは「大御所様のような偉大な国王から頂いたご恩は、生涯忘れません。必要なものは明日お伝え申し上げます」と応え、感激のあまり家康の手に接吻した。 翌日、大御所の重臣、本多正純を訪問。三つの願いをする。一つ、日本にいるキリスト教諸派の修道士の布教や生活待遇の保証。二つ、ドン・フィリッペ王との親交を深めて頂きたい。王も望んでいます。三つ、そのためには、王に敵対するオランダ人を追放すべきだと思います(当時、オランダはスペインの属国から独立)」。 その翌日、朝十時きっかりに家臣が贈り物持参で宿に来る。彼等は実にきちんと時間を守る。このことは、ロドリゴが日本に来て以来、感心していることだ。城に行くと、重要な話に入る前に、健康を祝い、乾杯してくれ、軽食を頂戴する。 家康は開口一番「このような家臣を持つドン・フィリッペ王がうらやましい。彼は遭難して命からがら助かったので私は欲しいものは何でも与えると約束した。ところがどうだ。金銀物品などではなく、信仰する宗教や国王のために有利になることのみを求めた」。「日本にいる宣教師は今後迫害を受けさせない。また、大いなるドン・フィリッペ国王との友好促進を図る。但し、オランダ人の国外追放については、彼等の保護を約束しているので今は無理であるが、今後の方針の参考としたい」。実に明快である。そして家康は云う。「ヌエバ・イスパニア(メキシコ)に渡りたいなら船を提供する。出発までにかかる一切の費用、金銭も与えよう」。あのウイリアム・アダムスに指揮して造らせた、日本に一隻しかない外洋船を与えるというのである。ロドリゴは衝撃を受け、涙した。